テニスの記録には、いつか誰かが更新するものと、制度そのものが変わったために永久に凍結されるものがある。2010年ウィンブルドン選手権1回戦、ジョン・イスナー対ニコラ・マユーの一戦は、後者の典型だ。11時間5分。3日間。最終セット70-68。この数字はもう、動かない。
コート18で始まった3日間
舞台はセンターコートでもNo.1コートでもない、コート18だった。第23シードのイスナーと、予選を勝ち上がってきたマユー。組み合わせが発表された時点では、大会の何百とある試合のひとつに過ぎなかった。
試合開始は2010年6月22日火曜日の18時13分。この日は21時07分、日没によって中断された。
翌23日水曜日、14時05分に再開。この日が異常な一日になる。最終セットのゲームカウントは伸び続け、ブレークの気配のないまま数字だけが積み上がっていった。そして21時09分、59-59という信じがたいスコアで、再び日没中断となる。
決着は24日木曜日。15時40分に再開され、16時47分に終わった。最終スコアは6-4、3-6、6-7(7-9)、7-6(7-3)、70-68。
数字が示す異常
総試合時間は11時間5分、分に直せば665分。当時としては、いや今でも、フルセットのテニスの試合として想像できる範囲を大きく超えている。
総ゲーム数は183。うち第5セットだけで138ゲームが費やされた。通常の試合であれば、フルセットまでもつれても全体で40ゲーム前後で終わることを考えれば、この試合の最終セットだけで3試合分以上が行われた計算になる。ポイント数は980。
そして、この試合の性格を最も端的に示すのがエースの数だ。イスナーが113本、マユーが103本。合計216本。二人ともサーブを軸にした選手であり、互いのサービスゲームを崩す糸口が最後まで見つからなかった。テニスというスポーツで最終セットに上限を設けないルールと、ビッグサーバー同士の対戦が組み合わさったとき、何が起きるのか。その答えがそのまま記録として残った形だった。
象徴的な出来事もあった。第5セットが47-47に達した時点で、電光掲示板が表示不能になったのだ。設計上、そこまでの数字が入ることを想定していなかったからである。テニスというスポーツの側が、この試合に追いつけなかった瞬間だった。
ルールが追いついた
この試合は、記録であると同時に問題提起でもあった。無制限の最終セットは、選手の身体、大会運営、放送、そして観客の体験のすべてに無理を強いる。
2018年、別の大会でも長時間に及ぶ最終セットの決着が問題視されたことを受け、ウィンブルドンは2019年から最終セット12-12でのタイブレーク導入を決めた。上限を設けつつ、最終セットに特別な重みを残す折衷案だった。
そして2022年からは、4大大会共通のルールとして、最終セット6-6からの10ポイント先取タイブレークが導入された。これによって、最終セットが際限なく続く可能性は制度上完全に消えた。
破られない記録という位置づけ
結果として、イスナー対マユーの11時間5分と70-68は「破られることのない記録」と呼ばれるようになった。誰かが上回る余地がないのではなく、上回れる仕組みがもう存在しない。記録が保存されたのではなく、記録が生まれた条件のほうが撤去されたのだ。
スポーツの記録の多くは、いつか誰かが超えるという前提のうえに成り立っている。だからこそ人はそれを追いかける。だがこの試合は、追いかける対象ではなく、テニスがかつてそういう競技だったことを示す標識として残された。
センターコートではなくコート18で、大会の片隅から始まった一戦だった。それが結果として、テニスのルールブックを書き換える一因になった。二人が3日間かけて到達した場所は、いまも誰の手も届かないところにある。
当時の映像
情報源
情報源: Wikipedia(英語)
https://en.wikipedia.org/wiki/Isner%E2%80%93Mahut_match_at_the_2010_Wimbledon_Championships
情報源: Tennis Majors(英語)
https://www.tennismajors.com/wimbledon-news/june-24-2010-the-day-marathon-men-isner-and-mahut-completed-the-longest-match-in-history-267343.html
情報源: Olympics.com(英語)
https://www.olympics.com/en/news/longest-tennis-match-history-grand-slam-record
情報源: Tennis.com(英語)
https://www.tennis.com/news/articles/ten-years-later-reliving-isner-and-mahut-s-183-game-battle-of-70-68







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