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1ドルの契約書から始まった女子プロテニス Original 9の決断

1970年9月23日、米国ヒューストンで9人の女子選手が契約書に署名した。契約金は一人1ドル。この1ドルには、当時の競技団体の認可に頼らず女子だけのプロ大会を開くための、現実的な役割があった。署名した9人は、のちに「Original 9」と...
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伊達公子、ウィンブルドンで初のベスト4――グラフとの二日がかりの準決勝

伊達公子は1996年のウィンブルドンに第12シードとして出場し、準決勝まで勝ち上がった。グランドスラムでのベスト4はこれが3度目になる。1994年の全豪オープン、1995年の全仏オープンに続く記録だが、ウィンブルドンでは初めてだった。相手は...
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カルロス・アルカラスがコートの外で続けていること。19歳の「まだ道のりは長い」と22歳の『Suits』

2026年の今、カルロス・アルカラスの実績を並べれば、グランドスラム優勝や世界ランキングの推移といった華やかな記録が目立つ。ただ一次ソースをたどっていくと、19歳の頃から変わらず続いているもう一つの線がある。「英語を学ぶ」という、ごく地道な...
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1993年ハンブルク|モニカ・セレス刺傷事件と、女子テニスが失った27か月

10代で四大大会を8勝したモニカ・セレスの記録が止まったのは、引退でも故障でもなかった。1993年4月30日、ハンブルクのコートチェンジで何が起きたのか。事件、ランキング投票、27か月後の復帰までを事実で追う。
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【フェデラー】聖域を手放した時――97平方インチへの変革

ロジャー・フェデラーのキャリアを振り返るとき、たいていの人はグランドスラムの数やワンハンド・バックハンドの美しさを語る。でも意外と知られていないのが、2013年から2014年にかけて彼がラケットのフェイスサイズを変えたという地味な出来事だ。...
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11時間5分、70-68 イスナー対マユーという二度と起こらない試合

テニスの記録には、いつか誰かが更新するものと、制度そのものが変わったために永久に凍結されるものがある。2010年ウィンブルドン選手権1回戦、ジョン・イスナー対ニコラ・マユーの一戦は、後者の典型だ。11時間5分。3日間。最終セット70-68。...
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80試合の対話 — エバートとナブラチロワが遺したもの

テニスの歴史には数え切れないほどのライバル関係があるが、対戦回数で並ぶものはない。クリス・エバートとマルティナ・ナブラチロワは、1973年から1988年までの15年間で80回顔を合わせた。しかもそのうち60試合が決勝である。トーナメントの最...
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トリックスターの系譜 — サントロ、謝淑薇、そして伊藤あおいへ

パワーとスピードが正義とされる現代テニスで、意図的にその逆を行く者たちがいる。両手両面のグリップ、スライス、ドロップショット、緩急——ボールを速く打つのではなく、相手のリズムを壊すことそのものを武器にする「変則・技巧派」。彼らは主役ではない...
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日本テニスの系譜 — 佐藤次郎から大坂なおみへ

日本のテニスは、世界の頂に手を伸ばした選手たちのバトンリレーの歴史でもある。戦前の孤高の天才から、日本人初の世界1位へ。その系譜を辿る。先駆者・佐藤次郎日本テニスの原点に立つのが佐藤次郎(1908-1934)だ。1933年に世界ランキング3...
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BIG3とは何だったのか。フェデラー・ナダル・ジョコビッチが支配した黄金時代

2000年代半ばから2020年代にかけて、男子テニスは3人の選手によって支配された。ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、そしてノバク・ジョコビッチ。「BIG3(ビッグスリー)」と呼ばれる彼らは、四大大会のタイトルを独占し、テニスの歴史...