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トリックスターの系譜 — サントロ、謝淑薇、そして伊藤あおいへ

トリックスターの系譜 — サントロ、謝淑薇、そして伊藤あおいへ コラム
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パワーとスピードが正義とされる現代テニスで、意図的にその逆を行く者たちがいる。両手両面のグリップ、スライス、ドロップショット、緩急——ボールを速く打つのではなく、相手のリズムを壊すことそのものを武器にする「変則・技巧派」。彼らは主役ではないが、コート上でいちばん記憶に残る一人であり続けてきた。その系譜を、三人の名前で辿ってみたい。

ファブリス・サントロ — パワー時代に現れた「魔術師」

始まりはフランスのファブリス・サントロ(1972年生まれ、タヒチ出身)。彼はフォアハンドもバックハンドも両手打ちという、プロでは類を見ないグリップで戦った。本人いわく、子どもの頃にラケットが重すぎて片手で持てなかったことがそのまま個性になったという。

スライス、ドロップ、アングル、そして予測不能なショットセレクション。速いボールで押し切る全盛期のツアーにあって、サントロは「速さ以外のすべて」で相手を惑わせた。かのピート・サンプラスは彼を「The Magician(魔術師)」と呼んだ。当時世界の頂点にいたマラト・サフィンにいたっては通算2勝7敗と苦手にし、「サントロと当たると言われるのは、死ねと言われるようなものだった」という嘆きを残したことで知られる。

シングルスの自己最高は17位。派手なタイトルの数より、彼の名は「壊し屋」としての存在感で刻まれた。そして特筆すべき記録がひとつ——四大大会の男子シングルスに史上初めて70回出場し、そのキャリアは1989年から2010年まで、4つのディケイド(十年代)にまたがった。技巧派は消耗が少なく、長く戦える。ダブルスでは全豪オープンを連覇(2003・2004)し、そのトリッキーな技術を結晶させた。

謝淑薇 — 女子ツアーに現れた同じ魔法

サントロの魔法は、時を経て女子ツアーに現れる。台湾(チャイニーズタイペイ)の謝淑薇(シェ・シューウェイ、1986年生まれ)は、サントロと同じくフォア・バックともに両手打ち。フラットで速い打球のなかに、スライス、ドロップ、ロブ、ネットプレーを織り交ぜ、コメンテーターから「The Wizard(魔術師)」と呼ばれた。両手両面という稀有なスタイルの一致から、彼女はしばしばサントロと重ねて語られる。

シングルスの自己最高は23位にとどまったが、彼女の真価はダブルスで爆発した。2014年5月にダブルス世界1位に到達し、その在位は通算59週にのぼった。四大大会の女子ダブルスでは7回優勝(混合ダブルスを含めれば9回)。技巧と読みが勝敗を分けるダブルスは、トリックスターの独壇場だった。

2024年、謝淑薇はシングルスから退いた(同年の全豪オープンが最後のグランドスラム・シングルスとなった)。だがダブルスでは今なお現役で、変則プレーの遺伝子は途絶えていない。

伊藤あおい — 「へにょへにょテニス」で系譜を継ぐ

そして現在、この系譜をまっすぐ受け継ごうとしているのが日本の伊藤あおい(2004年生まれ、名古屋出身)だ。パワー全盛の女子ツアーで、彼女はフォアハンドの片手スライスを多用し、ドロップと緩急で格上を崩す。その独特さは「へにょへにょテニス」と評され、2025年には世界ランキングを大きく上げ、トップ100入りを果たした。

技術そのものは、両手両面のサントロや謝淑薇と完全に同じではない(伊藤のフォアは片手スライス、バックが両手)。だが受け継がれているのは打ち方ではなく思想——「パワーで勝てないなら、技術で崩す」という一点だ。伊藤自身がその源流を公言している。WTA公式サイトのインタビュー(2022年)で、彼女はこう語っている。「憧れの選手は謝淑薇。謝淑薇のようなテニスを目指して、ユニークな選手になろうとしている」。そして自らのスタイルについて——「パワーがないから、技術で勝負する。スライスで、ドロップで、パワーの倒し方を考えるんです」。

WTA(女子テニス協会)もまた、同じ記事のなかで伊藤をモニカ・ニクレスクや謝淑薇といった「過去の非適合者(ノンコンフォーミスト)」と同じカテゴリーに位置づけた。この系譜は、後から物語として繋いだものではない。継承者本人の意思によって、実線で結ばれている。

異端が価値を増す時代

サントロ、謝淑薇、伊藤あおい——三人の技術は完全に一致するわけではない。共通しているのは、「速く・強く」が絶対とされるテニスへの、静かで執拗な反逆だ。用具が進化し、選手が大型化し、プレースタイルが均質化していくほど、こうした異端の価値はむしろ高まっていく。相手のリズムを壊し、観る者の予想を裏切る一打には、スピードガンの数字では測れない魅力がある。

魔術師の系譜は、いまも途切れていない。

※本記事のランキング・記録は2026年7月時点のものです。

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