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伊達公子、ウィンブルドンで初のベスト4――グラフとの二日がかりの準決勝

伊達公子、ウィンブルドンで初のベスト4――グラフとの二日がかりの準決勝 コラム
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伊達公子は1996年のウィンブルドンに第12シードとして出場し、準決勝まで勝ち上がった。グランドスラムでのベスト4はこれが3度目になる。1994年の全豪オープン、1995年の全仏オープンに続く記録だが、ウィンブルドンでは初めてだった。相手は第1シードのシュテフィ・グラフ。前年11月に自己最高の世界4位を記録していた伊達にとって、格上との対戦だった。

この年の2人には伏線がある。ウィンブルドン開幕の3か月ほど前、1996年4月27日と28日、東京の有明コロシアムでフェドカップ・ワールドグループ1回戦のドイツ対日本が行われた。ここで伊達は世界1位のグラフと対戦し、7-6、3-6、12-10で勝っている。伊達がグラフから挙げた勝利は、生涯を通してこの一度だけだった。

ウィンブルドンの準決勝は1996年7月4日木曜日に始まった。第1セットはグラフが6-2で取り、第2セットは伊達が同じ6-2で取り返す。セットカウント1-1のまま、薄暮のため試合は中断された。

第3セットは翌7月5日金曜、午前11時から再開された。グラフが6-3でこのセットを取り、準決勝を制した。最終スコアは6-2、2-6、6-3。グラフはこのまま決勝でアランチャ・サンチェス・ビカリオを6-3、7-5で下し、前年に続くタイトル防衛に成功する。1996年のグラフは全豪こそ欠場していたが、全仏・ウィンブルドン・全米の3大会を制した年だった。

伊達はこの2か月後、1996年9月に引退を発表する。25歳だった。最後の試合となったのはWTAファイナルズ。この時点での正確な世界ランキングは記録が見当たらない。

もっとも、これで終わりではなかった。伊達は2008年に現役へ復帰し、2017年まで、通算37年に及ぶキャリアを続けることになる。グラフとの一戦は、その長いキャリアの中間地点に置かれた記録として残っている。

情報源: Baltimore Sun(1996年7月6日)/ The Spokesman-Review・AP通信配信(1996年7月5日)/ Wikipedia “1996 Wimbledon Championships – Women’s singles” / Wikipedia “Kimiko Date” / WTA公式 / Wikipedia “1996 Fed Cup World Group” / Wikipedia “Steffi Graf”

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