TENNIS CHRONICLE · PLAYER ENCYCLOPEDIA
クリス・エバート

採用画像の出典・加工情報
Photo source: 作者不明 / El Gráfico No.3322(1983年)/ Wikimedia Commons「Chris Evert Lloyd 1983.png」 / Public domain。https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chris_Evert_Lloyd_1983.png 。変更:Tennis Chronicleによる生成AIを用いた画像編集・再構成、トリミング、紺色グラデーション、氏名・米国旗・WTA識別表示、四大大会優勝年・WTA154勝・世界1位初到達日の3枠表示(2026年10月31日Owner依頼)。生成AIによる再構成を含む合成ビジュアル。商標権等は各権利者に帰属。
選手概要
- 四大大会シングルス18勝。全仏7勝、全米6勝、ウィンブルドン3勝、全豪2勝
- 1975年11月3日、最初の公式WTA世界1位に。世界1位在位は通算260週
- 正確な両手バックハンドとベースラインからの安定性が持ち味
- ナブラチロワとの80回の対戦で女子テニスの一時代を築き、1989年に引退
四大大会18勝 / WTAシングルス154勝 / 世界1位 通算260週
確認日:2026年10月5日
情報源を見るプロフィール
| ツアー | WTA/女子 |
|---|---|
| 主な活躍年代 | 1970・1980年代 |
| ステータス | 引退 |
| 国籍 | アメリカ |
| 生年月日 | 1954年12月21日 |
| 身長 | 168cm |
| 利き手・バックハンド | 右利き・両手バックハンド |
| 自己最高ランキング | 世界1位(初到達:1975年11月3日) |
主要成績
| 大会 | 最高成績 | 該当年 |
|---|---|---|
| 全豪オープン | 優勝 | 1982年・1984年 |
| 全仏オープン | 優勝 | 1974年・1975年・1979年・1980年・1983年・1985年・1986年 |
| ウィンブルドン | 優勝 | 1974年・1976年・1981年 |
| 全米オープン | 優勝 | 1975年・1976年・1977年・1978年・1980年・1982年 |
ツアー・代表成績
- WTA集計のシングルスタイトル154勝(現行公式プロフィール・2026年版記録集)
- 国際テニス殿堂の略歴は通算157勝と記載。資料間で数字が異なるため、当ページではWTAの現行集計を使用する
その他の主な実績
- WTAファイナルズ相当の年間選手権:優勝4回(1972、1973、1975、1977)
- 公式WTA世界1位:初到達1975年11月3日、通算260週
- 国際テニス殿堂入り:1995年
キャリア年表
年号を選ぶと、その時代の詳しい経歴へ移動します。
- 1971 — 16歳で全米オープン初出場。準決勝へ進出。
- 1972 — 18歳の誕生日にプロ転向。
- 1974 — 全仏オープンで四大大会初優勝。ウィンブルドンでも優勝。
- 1975 — 全米オープン初優勝。11月3日、初の公式WTA世界1位となる。
- 1978 — 全米オープン4連覇。
- 1982 — 全豪オープン初優勝。全米オープンで6度目の優勝。
- 1984 — 全豪オープンで2度目の優勝。
- 1985 — 全仏決勝でナブラチロワを破り、6度目の優勝。
- 1986 — 全仏決勝で再びナブラチロワを破り、7度目の優勝。
- 1989 — 現役引退。Chris Evert Charitiesを設立。
- 1995 — 国際テニス殿堂入り。
- 1996 — フロリダでEvert Tennis Academyを共同設立。
- 2011 — ESPNのテニス解説陣に加わる。
キャリアを振り返る
アメリカ出身の元プロテニス選手。両手打ちバックハンドを広めた一人で、安定したベースラインプレーを武器に四大大会シングルス18勝を挙げた。全仏オープンでは7度優勝。ライバルのマルティナ・ナブラチロワとの数々の対戦は、女子テニス史を象徴する名勝負となった。1989年に現役を引退した。
フロリダでの練習と1971年の全米オープン
フォートローダーデールで育ったエバートは、父ジミーの指導で幼いころからボールを打っていた。両手バックハンドと繰り返しの練習で身につけた正確なストロークが、その後の競技生活の基礎となる。大きな注目を集めたのは、16歳で初出場した1971年の全米オープンだった。
2回戦ではメアリー・アン・アイゼルにマッチポイントを握られながら逆転し、そこから準決勝まで勝ち進んだ。最後は優勝するビリー・ジーン・キングに敗れたものの、初めての四大大会で強豪を相手に粘って勝った過程は、すでに彼女のプレーをよく表している。1972年、18歳の誕生日にプロへ転向。若い挑戦者として登場したエバートは、ほどなくタイトルを争う側に回った。
1974年、パリとロンドンで初優勝
四大大会で初めて優勝したのは1974年の全仏オープン。決勝でオルガ・モロゾワを破り、続くウィンブルドンでも同じ相手を下して優勝した。クレーと芝という異なるコートで、同じ夏に頂点へ立った。エバートをクレーだけの選手として見ると、この早い時期の芝での成功を見落としてしまう。
1974年は全豪でも決勝に進み、全米では準決勝まで勝ち上がった。ただし、この年の活躍を現在の公式WTAランキングの「世界1位到達日」と混同してはいけない。週ごとのコンピューターランキングが始まったのは1975年11月3日で、その最初の世界1位がエバートだった。
世界1位と全米オープンの連覇
1975年には全仏を連覇し、全米で初優勝を挙げた。全米の決勝はイボンヌ・グーラゴングとの3セットの試合で、最初のセットを失ってから逆転した。1978年まで全米を4連覇。大会がフォレストヒルズのクレーからフラッシングメドウズのハードへ移った1978年も勝ち切っている。
以後、1980年と1982年にも全米を制し、通算6勝となった。世界1位在位は通算260週。1大会での勝ち方だけでなく、会場やコートが変わっても上位を保ち続けたことが、長いキャリアを読むうえで欠かせない。1974年から1986年には、13年続けて少なくとも一つの四大大会シングルスタイトルを獲得した。
ナブラチロワとの対戦が変えた優勝争い
最大のライバルはマルティナ・ナブラチロワだった。二人はシングルスで80回対戦し、エバートの37勝43敗。四大大会の決勝だけでも14回顔を合わせた。ベースラインで相手の球を正確に返すエバートと、サーブからネットへ出てポイントを取りにいくナブラチロワ。どちらが得意な形に持ち込むかが、対戦の見どころになった。
1980年代前半、ナブラチロワが大舞台で優位に立つ一方で、エバートも1982年と1984年の全豪を制した。1982年の全豪決勝の相手はナブラチロワで、この優勝によって四大大会すべてのシングルスタイトルがそろった。両者の関係は対抗相手というだけではない。1975年の全仏と1976年のウィンブルドンでは、ペアを組んで女子ダブルスのタイトルも獲得している。
1985〜86年の全仏オープン
1985年の全仏決勝で、エバートはナブラチロワを6-3、6-7、7-5で破った。前年の同じ決勝では敗れており、今度は最終セットの接戦をものにした。6度目の全仏優勝を挙げた後、公式WTAランキングでも世界1位へ返り咲いている。
翌1986年も決勝でナブラチロワと対戦した。第1セットを失ったエバートが、残る2セットを奪って2-6、6-3、6-3で逆転勝ち。これが7度目の全仏優勝で、四大大会シングルス18個目、そして最後のタイトルとなった。二人が全仏の決勝で戦った最後の試合でもある。ベースラインからの粘りとパッシングショットを、ネットへ詰める相手との応酬の中で見られる代表的な一戦だ。
1989年の引退と、その後
エバートは1989年に現役を引退した。最後の全米オープンでは準々決勝でジーナ・ガリソンに敗れ、ウィンブルドンではその年も準決勝まで進んでいる。1971年に全米で注目を集めた少女が、1980年代末の新しい世代と戦うまで、長く優勝争いの近くにいた。
引退後は1995年に国際テニス殿堂入りし、翌年にはEvert Tennis Academyを共同設立した。指導やチャリティー活動に加え、テレビのテニス解説も続け、2011年にはESPNへ加わった。優勝回数を残しただけでなく、プレーを教え、試合を伝える立場でもテニスに関わっている。
プレースタイル
ベースライナー
両手打ちのバックハンドを女子テニスに広めた先駆者。ベースラインから繰り返し深く返し、狙ったコースへ打つ精度とミスの少なさで相手に次の一打を要求し続けた。強打一発で終える場面だけでなく、クロスのラリーを続けて相手を動かし、空いたコースを使う組み立てに特徴がある。
全米の公式プレー映像では、両手バックハンドでの鋭いコース変更や、前へ出た相手を抜くパッシングショットが見られる。ネットに詰めるナブラチロワとの対戦では、ボレーを避けてどこを通すかという判断が重要だった。
クレーでの強さは、全仏7勝だけでは説明しきれない。WTAと国際テニス殿堂は、1973年8月から1979年5月までのクレー125連勝を記録している。相手が球を拾えるコートでも、ラリーを続けながらコントロールを崩さないことが大きな武器だった。ただし、芝ではウィンブルドン3勝と全豪2勝、ハードでも全米を制しており、クレー専用の選手ではなかった。
人物像
コート上の落ち着いた振る舞いは、現役当時から広く知られていた。国際テニス殿堂の紹介は、正確なプレーと試合の最後まで続く集中力を評価している。そこに掲載されたマーガレット・コートの評も、劣勢でも集中を切らさず諦めない点に向けられたものだ。
エバート本人は、WTAが世界1位トロフィーを彼女の名にちなんで命名した際、世界1位には年間を通じた一貫性と質の高い勝利が必要だという考えを語った。表情だけから性格を決めつけるより、日々の試合を積み重ねることを重視した本人の言葉と、実際の長い競技生活を合わせて見ると、彼女の競争への姿勢が伝わる。
WTA公式の人物特集。競技生活の振り返りと、引退後も続けてきた指導への思いを本人が語る。
オフコート
フロリダ州フォートローダーデールの出身。父ジミーの指導を受けて育ち、引退後はボカラトンのEvert Tennis Academyを通じて次の世代の育成にも携わった。WTAは、1996年の同アカデミー共同設立と、1989年に始めたChris Evert Charitiesの活動を紹介している。
選手として活動する傍ら、WTAの選手組織の会長も務めた。US Open公式の2025年の回顧記事では、チャリティー活動に加え、1990年から2002年までのNBCでの解説、2011年以降のESPNでの仕事にも触れている。競技の第一線を離れてからも、指導と解説という二つの立場でテニスを伝えてきた。
現役時代の使用ギア
現役時代(Wilson契約は1972年、資料確認2026年10月5日)

ラケット(未使用中古・S+/L4)
Wilson Chris Evert Autograph
ウィルソン クリス・エバート オートグラフ。テニス市場が販売する未使用中古品(S+ランク/L4、商品番号c22050019c)です。ガットは張られていません。保管・展示に伴う細かなキズ・日焼けなどがある場合があり、付属パンフレットには傷みがあります。本人の実使用品ではなく、使用時期・試合用仕様との同一性は確認できていません。状態・在庫・価格は販売ページでご確認ください。
Wilson契約と使用情報
掲載ブランド:Wilson
使用情報:国際テニス殿堂は、1972年のプロ転向時にWilsonとラケット契約を結んだことを記録している。現役時代には用具が変化しており、このブランド表記から全期間の使用モデルや1989年の実使用スペックを特定することはできない。型番・重量・ストリング・テンションの未確認情報や、現在の市販品との同一性は断定しない。
情報源
- WTA公式プロフィール・略歴
- WTA公式2026年版記録集(シングルスタイトル154勝)
- WTA公式:世界1位の回顧・トロフィーと本人コメント
- 国際テニス殿堂Chris Evert略歴・殿堂入り・用具契約
- US Open公式:1971年の初出場
- US Open公式:1975年初優勝50周年回顧
- WTA公式試合記録:1985〜86年の全仏決勝
- WTA公式動画
- USTA公式動画
- Roland-Garros公式:1986年決勝映像
- Wikimedia Commons:1983年の写真・権利表示
確認日:2026年10月5日


