旧チェコスロバキア出身(後にアメリカ国籍)の元プロテニス選手。卓越したサーブ&ボレーを武器に、ウィンブルドンを女子最多の9度制するなど四大大会シングルス18勝を挙げた。ライバルのクリス・エバートとの対戦は女子テニス史に残る名勝負として知られる。シングルスは1994年に退いた後も、ダブルスで長く活躍した。
プロフィール
| ツアー | 女子(WTA) |
|---|---|
| 時代区分 | 1970年代・1980年代・1990年代 |
| ステータス | 引退 |
| 国籍 | アメリカ(旧チェコスロバキア出身) |
| 生年月日 | 1956-10-18 |
| 身長 | 173 cm |
| 利き手 | 左利き |
| バックハンド | 片手打ち |
| 自己最高ランキング | 1 位 |
| 四大大会シングルス優勝 | 18 回 |
| 四大大会 成績 | 18勝:ウィンブルドン9・全米4・全豪3・全仏2 |
| ツアー優勝 | ツアーシングルス通算167勝(オープン化以降 歴代最多) |
| 主要タイトル | WTAファイナルズ(年間王者決定戦)8回(史上最多) |
プレースタイル・人物像
サーブ&ボレー
積極的にネットへ詰めるサーブ&ボレーを武器に、女子テニスに攻撃的なスタイルを持ち込んだ。卓越した身体能力とネットでの反応の速さで、相手に考える時間を与えない。加えて、体系的なフィジカルトレーニングと食事管理をいち早く取り入れ、アスリートとしての節制を女子ツアーに定着させた先駆者でもある。その徹底した自己管理が、30代半ばまでシングルスの第一線を保ち、ダブルスでは40代まで現役を続けた驚異的な長寿キャリアを支えた。
気質・人物像
信念を曲げない率直さで知られ、思うところを臆せず発言してきた。早くから自らの性的指向を公表した先駆的なアスリートであり、その後も一貫して人権やLGBTQの権利のために声を上げ続けている。強い意志と行動力が、コート内外での存在感を形づくった。
オフコートの素顔
旧チェコスロバキア出身。1975年、18歳のときに出場中だった全米オープンの地で母国を離れ、アメリカへの政治亡命を申請。1981年にアメリカ市民権を得た。共産圏からの亡命という大きな決断は、彼女の人生を象徴する出来事となった。生涯のライバルであるクリス・エバートとは、コートを離れれば深い友情で結ばれたことでも知られる。
使用ギア
| ラケット | Yonex ナブラチロワはキャリア後半にヨネックスを採用。サーブ&ボレーとネット際の反応を武器にした、彼女のオールラウンドなプレースタイルを支えた。 |
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※ 上記のギア情報は1994年(シングルス現役時点)のものです。現在は異なる場合があります。
アイキャッチ写真: Photo by Hans van Dijk (Anefo) / CC0, via Wikimedia Commons

