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松岡修造

松岡修造 1980年代
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No. 46自己最高
0四大大会優勝
ATPツアー
’80s·’90s時代
引退ステータス

東京都出身。慶應義塾幼稚舎・中等部・高等学校を経て、高校2年次にテニスの名門・柳川高等学校へ転校し、シングルス・ダブルス・団体でインターハイ三冠を達成。1986年にプロ転向し、1998年に現役を引退した。現役時代の自己最高ランキングはシングルス46位(1992年)で、ATPシングルス優勝1回(1992年ソウル・オープン、決勝でトッド・ウッドブリッジを下す)、ダブルス優勝1回(1989年オークランド)を記録。1995年ウィンブルドン選手権では、1933年の佐藤次郎以来62年ぶりとなる日本人男子のグランドスラム準々決勝進出を果たした(サンプラスに敗退)。

引退後はテニス解説者・スポーツキャスターとして活動する一方、1998年に「修造チャレンジ」を立ち上げ、若手選手の育成にも力を注いでいる。熱血的で情熱的なキャラクターとしても広く知られ、その独特の語り口や、著書『本気になればすべてが変わる』に代表されるメッセージは多くのファンに支持されてきた。

プロフィール

ツアー男子(ATP)
時代区分1980年代1990年代
ステータス引退
国籍日本
生年月日1967-11-06
身長188 cm
利き手右利き
バックハンド両手打ち
自己最高ランキング46 位
四大大会シングルス優勝0 回
四大大会 成績四大大会優勝なし。自己最高はウィンブルドン準々決勝(1995年)
ツアー優勝ATPシングルス優勝1回(1992年ソウル・オープン、決勝でトッド・ウッドブリッジを下す)、ダブルス優勝1回(1989年オークランド、当時はBenson and Hedges Open、現ASBクラシック)

プレースタイル・人物像

オールラウンダー

188cmの長身とパワーヒッティングを武器にしたオールラウンダー。サーブ&ボレーを軸に、力強いグラウンドストロークとネットプレーを組み合わせる攻撃的なスタイルで、勝負どころでの闘志と粘りが持ち味だった。

気質・人物像

「日本一熱い男」とも称される熱血漢。1995年ウィンブルドン選手権4回戦でマイケル・ジョイスを破りベスト8進出を決めた瞬間、芝の上に仰向けに倒れ込んだ場面は今も語り継がれる(このとき尾てい骨を強打し、試合後に病院へ向かったという)。感情を前面に出すファイティングスタイルは現役時代からのもので、引退後のキャスター・指導者としてのキャラクターにも受け継がれている。

オフコートの素顔

引退後はテニス解説者・スポーツキャスターとして活動し、後進育成にも携わる。

アイキャッチ写真: Photo: 文部科学省 / Wikimedia Commons (CC BY 4.0)

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