TENNIS CHRONICLE · PLAYER ENCYCLOPEDIA
イワン・レンドル

採用画像の出典・加工情報
元写真:Rob Croes / Anefo, Nationaal Archief(1984年3月18日、CC0、Wikimedia Commons)。元写真をもとにAI加工した画像。掲載用リサイズ:Tennis Chronicle。出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Finale_ABN_Tennistoernooi_Rotterdam_Lendl_in_actie,_Bestanddeelnr_932-9002.jpg ライセンス:https://creativecommons.org/publicdomain/zero/1.0/ 2026年10月31日:AIによるカラー化。色は推定であり、原写真の実際の色を保証するものではない。
プロフィール
| ツアー | ATP/男子 |
|---|---|
| 主な活躍年代 | 1970・1980・1990年代 |
| ステータス | 引退 |
| 国籍 | アメリカ |
| 出身 | チェコスロバキア・オストラヴァ |
| 生年月日 | 1960年3月7日 |
| 身長 | 188cm |
| 利き手 | 右利き |
| バックハンド | 片手打ち |
| 自己最高ランキング | 世界1位(1983年2月28日初到達) |
主要成績
| 大会 | 最高成績 | 該当年 |
|---|---|---|
| 全豪オープン | 優勝 | 1989年・1990年 |
| 全仏オープン | 優勝 | 1984年・1986年・1987年 |
| ウィンブルドン | 準優勝 | 1986年・1987年 |
| 全米オープン | 優勝 | 1985年・1986年・1987年 |
ツアー・代表成績
- ATPシングルス通算94タイトル
- ATPシングルス通算1,068勝242敗(ATP公式集計)
その他の主要実績
キャリア年表
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キャリアを振り返る
テニス一家に生まれた才能
1960年、チェコスロバキアのオストラヴァに生まれたレンドルは、テニスに深い関わりを持つ家庭で育った。
父イジーも母オルガも競技選手として活躍し、幼い頃から高いレベルのテニスに接する環境があった。
1978年には全仏オープンとウィンブルドンのジュニア男子シングルスを制し、同年プロへ転向する。
1980年のデビスカップでは、チェコスロバキア代表の中心選手として活躍。イタリアとの決勝ではシングルス2勝に加え、トマーシュ・シュミートと組んだダブルスでも勝利し、優勝に貢献した。
この時期からレンドルは、正確なショットと圧倒的な練習量によって、急速に世界トップクラスへ成長していく。
世界1位になっても届かなかった四大大会優勝
1982年、レンドルは年間15タイトルを獲得し、44連勝を記録するなど圧倒的な成績を残した。
1983年2月には、初めて世界ランキング1位に到達する。
しかし、四大大会の決勝では苦しい時期が続いた。
1981年全仏、1982年全米、1983年全豪、1983年全米と、最初の4度の決勝ではすべて敗れた。
通常のツアー大会では圧倒的な強さを見せながらも、四大大会ではあと一歩が届かない。この経験が、レンドルのキャリアに大きな転機をもたらすことになる。
1984年全仏オープン|マッケンローを破った歴史的大逆転
1984年の全仏オープン決勝。
相手は、その年に驚異的な強さを見せていたジョン・マッケンローだった。
レンドルは最初の2セットを3-6、2-6で落とし、敗戦寸前まで追い込まれる。
しかし第3セット、カメラマンの機材の音に苛立ったマッケンローが集中を乱すと、レンドルがブレークして流れを引き寄せる。強い日差しで消耗したマッケンローはファーストサーブの確率も落ち、レンドルは残り3セットで9度のブレークを奪った。第4セットは2-4から巻き返し、最終セットでもブレークポイントの危機をしのぐと、第12ゲームでブレークして勝利を決めた。
最終結果は、
3-6、2-6、6-4、7-5、7-5。
2セットダウンからの逆転勝利だった。
これがレンドルにとって初の四大大会タイトルとなり、それまでの「大舞台で勝ち切れない」という評価を覆す象徴的な試合となった。
この優勝を境に、レンドルは名実ともに世界最高の選手の一人へと成長していく。
1984年全仏決勝を映像で振り返る
2セットダウンから逆転した決勝を、大会公式の約28分の映像で振り返る。
全米オープン3連覇と絶対王者の時代
続く1986年にはミロスラフ・メチージュ、1987年にはマッツ・ビランデルを下し、全米オープン3連覇を達成した。
さらに注目すべきは、1982年から1989年まで8年連続で全米オープン決勝に進出したことだ。
ハードコートでの安定感、試合終盤でも衰えない体力、強烈なストローク。これらを高い水準で備えたレンドルは、長期間にわたって優勝候補の中心に君臨した。
年間最終戦でも1981、1982、1985、1986、1987年大会に優勝。1980〜1988年大会には9大会連続で決勝に進むという記録を残している。
全豪オープン連覇と、届かなかったウィンブルドン
1989年の全豪オープンではメチージュを破り、初優勝を果たした。
翌1990年も決勝へ進出し、ステファン・エドベリの途中棄権によって連覇を達成。これがレンドルにとって最後の四大大会タイトルとなった。
一方、四大大会の中で唯一優勝できなかったのがウィンブルドンだった。
1986年はボリス・ベッカー、1987年はパット・キャッシュに決勝で敗れ、準優勝に終わっている。
レンドルは芝への適応を目指して、サーブ&ボレーを強化。1990年には全仏オープンを欠場し、芝大会への準備に集中するほどウィンブルドン制覇に執念を燃やした。
しかし、最後までタイトルには手が届かなかった。
それでも、複数のサーフェスで高い勝率を維持し続けた能力は、レンドルの総合力を物語っている。
引退と、その後のキャリア
1994年、慢性的な背中の問題によって競技生活を終えた。
ATPツアーでのシングルス優勝は94回、四大大会優勝は8回。2001年には国際テニス殿堂入りを果たしている。
引退後はアンディ・マレーのコーチとして大きな成功を収めた。
マレーが2012年の全米オープンで四大大会初優勝を果たした際、レンドルはその陣営にいた。
2013年には、マレーが英国男子として77年ぶりとなるウィンブルドン男子シングルス優勝を果たした。再びレンドルの指導を受けた2016年にも、マレーはウィンブルドンを制し、年末世界1位へ到達した。
自身も最初の四大大会決勝4試合で敗れた経験を持つレンドルにとって、同じような苦難を経験したマレーを大舞台の勝者へ導いたことには、特別な意味があった。
プレースタイル
攻撃型ベースライナー
レンドルのテニスは、強烈なフォアハンドと徹底したベースラインでの主導権争いを中心に組み立てられていた。
当時としては非常に攻撃的なトップスピンショットで相手をコート後方へ押し込み、次の一打でポイントを仕留める。
サーブの威力も高かった。また、見過ごされがちだが、予測力と足の速さにも優れていた。
片手バックハンドは長年の練習によって磨き上げたショットであり、単なる才能だけでなく、反復練習によって技術を高めた選手でもある。
また、フィジカルトレーニングや食事管理を競技力向上の重要な要素と考え、ラケットの重量やバランス、ストリングテンションまで細かく調整した。
現在のトップ選手にとって当然となっている総合的なコンディショニングを、早い段階から実践していた点も大きな功績といえる。
世界1位を支えたフォアハンドとベースライン
重いトップスピンのフォアハンドで相手を押し込む、レンドルらしい展開を集めたATP公式の好プレー集。
人物像
2010年の復帰から振り返るレンドルの歩み
2010年、ATPチャンピオンズツアーでコートに戻ったレンドルを追ったATP公式の人物特集。チェコスロバキアで過ごした少年時代、体づくりと食事で築いたプロ意識、マッケンローとの因縁を、本人や関係者の言葉で振り返る(英語)。
試合中のレンドルは、感情を大きく表に出さず、厳しい表情で淡々とポイントを重ねる選手として知られた。
マッケンローやコナーズのように感情を前面に出すライバルとは対照的な存在だった。
しかし、その静かな表情の裏には、並外れた勝利への執着心があった。
自分に足りない能力を分析し、それを練習や準備によって改善する。身体づくり、技術、戦術、用具のすべてを見直す姿勢は、後の世代のプロ選手にも大きな影響を与えた。
レンドルの強さは、単にフォアハンドが強かったからではない。勝つための準備を誰よりも徹底したことにあった。
オフコート
現役引退後はゴルフにも熱心に取り組み、競技から離れた時間を楽しんだ。
一方で、テニスとの関係が途切れることはなく、指導者として再び世界の頂点を目指す戦いに関わった。
アンディ・マレーへの指導は、選手としての実績だけでなく、トップレベルで戦い続けるための考え方や精神面にも及んだ。
競技生活で築いた経験を次世代へ伝えたことも、レンドルがテニス史に残した重要な遺産である。
使用ギア
当時の使用情報と、中古で購入できる市販品例を分けて紹介しています。

ラケット
adidas GTX PRO-T IVAN LENDL(中古・同ブランドの市販品例)
ガット/ストリング
シューズ
ウェア
※ 使用情報は1984年当時の資料に基づきます。中古商品の販売情報は2026年11月3日確認。在庫・状態・価格は販売ページでご確認ください。
情報源
- ATP Tour:Ivan Lendl 選手プロフィール
- ATP Tour:Ivan Lendl Bio(Bud Collins)
- ATP Tour:Ivan Lendl: Steely No. 1, A Natural Winner
- ATP Tour:Player Activity 1980(デビスカップ決勝記録)
- 国際テニス殿堂:Ivan Lendl
- 国際テニス殿堂:TennisWorthy: How Ivan Lendl Reinvented Himself(2018)
- 国際テニス殿堂 Racquet Collection:Graphite GTX Pro
- Roland-Garros:1984年決勝
- Roland-Garros:ジュニアとシニアの両方で優勝した選手
- ATP Tour公式動画|Ivan Lendl Featured In ATP World Tour Uncovered
- Roland-Garros公式動画|Lendl vs McEnroe 1984 Men's final | Roland-Garros Classic Match
- Tennis TV公式動画|Ivan Lendl: Best-Ever ATP Shots!
確認日:2026年10月17日


