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TENNIS CHRONICLE · PLAYER ENCYCLOPEDIA

ジョン・マッケンロー

現役時代のジョン・マッケンローを描いたカラーのアイキャッチ。グランドスラム7勝、ATPシングルス77勝、最高1位
AI生成イメージ(実写ではありません)・出典

アイキャッチ写真: AI生成イメージ:Tennis Chronicle(OpenAI ImageGen)。実際の試合で撮影された写真ではありません。参考写真:Rob Croes / Anefo(1979年4月8日、ロッテルダム ABN大会決勝、Nationaal Archief、CC0 1.0、Wikimedia Commons)

選手概要

  • アメリカ出身の元世界1位。シングルス世界1位170週、年末1位は1981〜1984年。
  • 四大大会シングルス7勝(ウィンブルドン選手権3勝、全米オープン4勝)。
  • 左利きのサーブ&ボレーと卓越したタッチを武器に、単複両部門で世界1位に到達。
  • 1984年はシングルス年間82勝3敗、勝率96.5%の歴史的シーズン。

自己最高ランキング:1位四大大会シングルス優勝:7回

確認日:2026年10月17日

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ジョン・マッケンロー 本人の公式アカウント本人名義の公式企画アカウントです。

プロフィール

ツアー男子(ATP)
時代区分1970年代・1980年代・1990年代
ステータス引退
国籍アメリカ
生年月日1959-02-16
身長180 cm
利き手左利き
バックハンド片手打ち
自己最高ランキング1 位

主要成績

四大大会シングルス優勝7 回
四大大会 成績

※2026年10月17日時点

ツアー優勝ATPツアー:シングルス77タイトル。ダブルスでも70を超えるタイトル(資料により72〜78)。
主要タイトルシングルス世界1位通算170週、初到達1980年3月3日、年末世界1位1981〜1984年。マスターズ(年間最終戦)優勝3回(1978・1983・1984年大会)。ダブルス世界1位通算269週。四大大会通算17勝(シングルス7・男子ダブルス9・混合ダブルス1)。デビスカップ通算59勝10敗(シングルス41勝8敗・ダブルス18勝2敗)、米国代表の優勝5回(1978・1979・1981・1982・1992年)。国際テニス殿堂入り1999年。

キャリア年表

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キャリアを振り返る

18歳で衝撃を与えたウィンブルドン選手権

1959年2月16日、父が米空軍に勤務していた西ドイツ(当時)のヴィースバーデンで生まれ、ニューヨーク・クイーンズのダグラストンで育った。本名はジョン・パトリック・マッケンロー・ジュニア(John Patrick McEnroe Jr.)。

1977年、まだ18歳のアマチュアだったマッケンローは、全仏オープンでメアリー・カリロと組んで混合ダブルスを制し、続くウィンブルドン選手権では予選から勝ち上がって準決勝へ進んだ。この100年間で最も若い準決勝進出者となり、準決勝ではジミー・コナーズに敗れた。同年秋にスタンフォード大学へ進学すると、1978年にはチームのNCAA優勝に貢献し、自らもNCAAシングルスを制覇。同年後半にプロへ転向し、シーズン最終戦のマスターズ(1978年大会)では決勝でアーサー・アッシュを破って優勝した。

ボルグとの対決が生んだ名勝負

1979年、全米オープンの決勝でビタス・ゲルレイティスを破り、四大大会シングルス初優勝を果たした。ここから、全米オープンを主要な舞台とする活躍が始まる。

最大級のライバルはビョルン・ボルグ。1980年ウィンブルドン選手権決勝の第4セットでは、34ポイントに及ぶ18-16のタイブレークをマッケンローが奪いながら、最終的にボルグに敗れた。しかし、同年の全米オープン決勝で再びボルグと対戦すると、今度は5セットの激戦を制して大会連覇を果たす。

1981年のウィンブルドン選手権決勝で再戦すると、マッケンローはボルグの大会6連覇を阻止して初優勝を遂げた。その年の全米オープン決勝でもボルグを破り、全米オープン3連覇を達成。芝でもハードでも強さを証明した。1983年にはウィンブルドン選手権決勝でクリス・ルイスを破り、大会2度目の優勝を果たした。

静かにベースラインを支配するボルグと、積極的にネットへ攻めるマッケンロー。対照的な2人の攻防は、1980年代のテニスを象徴する名場面となった。

1984年――圧倒的な強さと忘れられない敗戦

1984年には年間82勝3敗(勝率96.5%)を記録。ATPと国際テニス殿堂が、オープン化以降の男子シングルス最高の年間勝率としているシーズンである。同年の全仏オープン決勝ではレンドルを相手に最初の2セットを奪いながら逆転負けを喫し、キャリア・グランドスラム達成を逃した。

それでも、続くウィンブルドン選手権決勝ではジミー・コナーズを6-1、6-1、6-2で圧倒し、3度目の優勝を果たした。コナーズにほとんど反撃の機会を与えなかった。

同年の全米オープン決勝ではイワン・レンドルを破り、四大大会シングルス通算7勝目を獲得した。翌1985年も全米オープン決勝へ進んだが、レンドルに敗れた。これが四大大会シングルスでは最後の決勝となった。

ダブルスにも残した大きな足跡

シングルスのスターであると同時に、ダブルスでも長く世界トップの実績を残した。ピーター・フレミングとのコンビで52タイトルを獲得し、1979年から1983年まで5年連続で年末のダブルス世界1位に立った。ネット際の鋭い読み、角度と緩急の使い分けが、ペア競技でも大きな武器になった。

1992年にはミヒャエル・シュティヒと組んでウィンブルドン選手権男子ダブルスを制覇。フルタイムの現役生活を終えた後も完全に競技を離れたわけではなく、2006年にはヨナス・ビョルクマンと組み、サンノゼでツアーダブルス優勝を果たした。

プレースタイル|創造性豊かなサーブ&ボレー

マッケンローの代名詞は、左利きの独特なサーブからネットに詰める攻撃と、比類のないボレーのタッチである。サーブは単なる球速ではなくコース、回転、タイミングで相手を崩した。ネットへ出てからは大きく振り抜くのではなく、ラケット面の微妙な調整で球の方向と速度を操った。

ドロップボレー、鋭角のアングル、ロブ、急なネットへの接近を組み合わせ、相手の位置と動きに合わせて一打を選ぶ。そのプレーには、強打だけでは表現できない技巧と発想があった。

人物像|激しさと繊細な技術

判定を巡って審判へ激しく抗議する姿や、1981年ウィンブルドン選手権での「You cannot be serious!」という言葉は、マッケンローを象徴する。強烈な感情表現は時に論議を呼んだが、プレーそのものはきわめて繊細で、激しい気性だけでは説明できない選手だった。

勝利への意欲を隠さず、創造的なショットを通して自分のテニスを貫く姿は、静かな王者ボルグとのコントラストを際立たせた。

オフコート|引退後もテニス界で活躍

フルタイムの現役生活を1992年に終えた後も、テニスとの関わりは続いた。四大大会ではCBS、NBC、Tennis Channel、ESPNなどで解説を務め、自伝のタイトルには代名詞となった『You Cannot Be Serious』を選んだ。2000年にはデビスカップ米国代表の監督も務めている。

2010年9月には、SPORTIMEと組んでニューヨークのランドールズ島にジョン・マッケンロー・テニス・アカデミー(JMTA)を開校し、次世代の育成に携わる。2017年の創設から2024年までは、レーバーカップのチーム・ワールド主将を務めた。

歴史的なラケット・ウェア

1980年代のマッケンローは、Dunlop Max 200G で四大大会タイトルを重ねた選手の一人として紹介されている(Tennis.com、2025年)。どの大会でどの個体を使ったか、ストリングの仕様は、確認できる資料がないため掲載しない。

ウェアとシューズでは、1979年4月のロッテルダム大会決勝の写真で、Sergio Tacchiniのロゴ入りシャツとNikeのシューズが確認できる。Nikeは2022年、マッケンローを同社で最も長い44年のアスリート・パートナーと紹介している。

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マッケンローが使用したモデルとして知られるMAX 200Gの中古市販品です。本人の使用個体や、その仕様を再現した商品ではありません。

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2025年のCX 200/CX 400 Tour限定色は、MAX 200Gを思わせる意匠を採り入れた現代のCXシリーズです。1980年代のMAX 200Gそのものの復刻ではなく、マッケンローの当時の実使用モデルとも区別します。

限定モデルの紹介記事(Tennis.com) ↗

情報源

確認日:2026年10月17日

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